炭酸煎餅の話

鉱泉と認定された飲用にも適応すると認められた炭酸水を利用して作られた物がサイダーと炭酸煎餅です。サイダーは明治34年に日本で最初に有馬の炭酸泉を利用して作られました。
サイダーは大正15年(1926年)まで有馬で製造されておりましたが、現在は製造されておりません。
炭酸煎餅は明治40年頃当店三津森本舗の創業者三津繁松が大阪慈恵病院院長緒方惟準氏(江戸時代に適塾という蘭学塾を開いた緒方洪庵の次男で
有馬温泉の風光を愛し度々有馬に逗留された) と風早次郎氏(兵衛旅館当主)の指導を受け炭酸水を利用して煎餅を作る事を工夫を行っていたが、
焼き上がりがなかなかうまくいかなかった。そこで吉田由兵衛(吉高屋当主)の助言を受けて薄く焼き上げる事に成功した。
炭酸煎餅の原材料は小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を炭酸水で練るという単純なもので薄く焼き上げてあるのでお腹に優しい食品として製造当初は離乳期の赤ちゃんや病後の老人食として緒方先生の病院などで採用され喜ばれた。
それが後に有馬温泉の特産土産品となるのですが、有馬郡誌には炭酸煎餅は炭酸水を原料にして、数種の滋養成分を加味調和して製造し風味淡白、滋養豊富な土産用として好適の品であるとしている。