炭酸煎餅の原点にこだわります。

有馬温泉駅から有馬の坂道を歩いて15分、湯本坂を上りつめた所に炭酸泉が湧き出る炭酸泉公園があります。
そのすぐ傍に移築した神戸御影に昭和初期に建てられた純和風の民家を併設した 《三ツ森 炭酸泉店》 を平成24年4月開店致しました。
私たち「三津森本舗」は、当地有馬温泉との不思議な縁(えにし)があったからではないかと思っております。
《三ツ森 炭酸泉店》を当社の命綱 炭酸泉とともに、炭酸煎餅の原点にこだわり続けけています。

元祖炭酸煎餅の由来

イメージ日本最古の歴史をもつ有馬温泉には、泉質の異なる数種の温泉が湧いております。強い鉄分、塩分を含んだ金泉、ラジウムを含んだラジウム泉、炭酸を含んだ炭酸泉などです。その中で炭酸泉は明治6年(1873年)当時の湯山町(現有馬町)戸町梶木源次郎氏により鉱泉として確認されました。それ以前の人々はこれを毒水と呼び近づくこともなかったですが、明治8年(1875年)この泉水を有害、無害と決めかねていた湯山町の有志は泉水の分析を内務省大阪司薬場に要請しました。その結果、飲用、浴用の両用に適する天然の炭酸水であると判定され、それ以後世間の広く知られるようになった。またその薬効が立証されて以後、明治19年地元有志により泉源上屋が建設されこの泉水を雨露から防ぎかつ盛んに気泡が発生する様に泉脈を導いて絶えず湧き出る様に整備されました。

鉱泉と認定された飲用にも適応すると認められた炭酸水を利用して作られた物がサイダーと炭酸煎餅です。サイダーは明治34年に日本で最初に有馬の炭酸泉を利用して作られました。サイダーは大正15年(1926年)まで有馬で製造されており、現在は有馬サイダーとして復刻版が製造されております。

炭酸煎餅は明治40年頃当店三津森本舗の創業者三津繁松が大阪慈恵病院院長緒方惟準氏(江戸時代に適塾という蘭学塾を開いた緒方洪庵の次男で有馬温泉の風光を愛し度々有馬に逗留された) と風早次郎氏(兵衛旅館当主)の指導を受け炭酸水を利用して煎餅を作る事を工夫を行っていましたが、焼き上がりがなかなかうまくいきませんでした。そこで吉田由兵衛(吉高屋当主)の助言を受けて薄く焼き上げる事に成功しました。
炭酸煎餅の原材料は小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を炭酸水で練るという単純なもので薄く焼き上げてあるのでお腹に優しい食品として製造当初は離乳期の赤ちゃんや病後の老人食として緒方先生の病院などで採用され喜ばれました。
それが後に有馬温泉の特産土産品となるのですが、有馬郡誌には炭酸煎餅は炭酸水を原料にして、数種の滋養成分を加味調和して製造し風味淡白、滋養豊富な土産用として好適の品であるとしています。

飛鳥 舒明3年 631年 舒明天皇行幸(日本書記に初登場)
大化3年 647年 孝徳天皇行幸(三ヶ月間滞在)
奈良 神亀元年 724年 行基、有馬に来て、一寺三院を建てる
天平7年 735年 大伴安麻呂有間を詠ずる(万葉集に登場)
平安 長徳3年 997年 和泉式部入湯
長保3年 1001年 清少納言(枕草子)に、ありまのゆ記載
万寿元年 1024年 前摂政藤原道長入湯
大治3年 1128年 白河法皇御行
安元2年 1176年 後白河法皇御行
鎌倉 建久元年 1190年 藤原俊成、有馬山の和歌を詠む
建久2年 1191年 吉野の僧仁西、有馬温泉を再興と伝わる
建仁2年 1202年 寂蓮法師没、是より先有馬社に詣で和歌を詠ず
建仁3年 1203年 藤原定家入湯(以降12回)(明月記)に旅舎の記述
承久3年 1221年 慈円入湯(愚菅抄の著者)
南北朝室町 貞永元年 1232年 藤原為家、有馬に於いて和歌を詠ずる
建長3年 1251年 後嵯峨上皇、有馬の湯を召寄せ御湯治以後数回
弘安7年 1284年 亀山上皇、有馬の湯を召寄せ御湯治
正平6年 1351年 僧 義堂周信 入湯(空華集)に有馬の記述
正平6年 1351年 足利方の勇将仁木頼章 入湯
元中2年 1385年 征夷大将軍 足利義満 入湯
永享5年 1433年 将軍 足利義教 有馬の湯を召寄せる
嘉吉元年 1441年 足利義教赤松満祐に殺され温泉寺に供養塔建つ
文明15年 1483年 蓮如 入湯(本願寺)
永正14年 1517年 後柏原天皇の勧めで、将軍足利義稙 入湯
安土桃山 天正4年 1576年 藤原惶窩 入湯(近世新儒学の祖)
天正8年 1580年 羽柴秀吉 初入湯  8月15日
天正11年 1583年 羽柴秀吉 入湯  
天正12年 1584年 羽柴秀吉 夫婦入湯  
天正13年 1585年 関白秀吉 入湯 前田利家入湯
天正19年 1591年 太閤秀吉 北政所と共に入湯
文禄2年 1593年 太閤秀吉 入湯及び新殿造営 細川幽斎入湯
文禄3年 1594年 徳川秀忠 入湯
江戸 慶長元年 1596年 京畿大地震 新殿大破 有馬の湯 著しく温度上昇
慶長3年 1598年 秀吉による泉源及び河川改修完成。豊臣秀吉没
慶長9年 1604年 黒田如水 入湯
元和7年 1621年 林羅山 入湯(朱子学 江戸幕府の顧問)
寛永11年 1634年 荒木又右衛門 河合又五郎を追い有馬に来る
寛永14年 1637年 細川忠興 京にて有馬の湯を取り寄せ湯治す
正保3年 1646年 柳生宗矩(柳生藩主。新陰流)没、先に有馬入湯
承応2年 1653年 松永貞徳没、これより先有馬に遊ぶ
宝永6年 1709年 貝原益軒 入湯
正徳元年 1711年 貝原益軒  有馬湯山記を著す
文化2年 1805年 地理学者伊能忠敬 入湯
文政10年 1827年 頼山陽、母・叔父と共に入湯
文政12年 1829年 蘭医学者宇田川椿庵、有馬温泉を分析す
嘉永4年 1851年 土佐藩士吉田東洋入湯
明治 明治元年 1868年 蘭若院(阿弥陀坊)廃寺、湯泉神社、郷社に列す
明治5年 1872年 瑞宝寺、金剛院、報恩寺廃寺  炭酸水発見
明治6年 1873年 郵便局開設、有馬街道改修(有馬~兵庫)
明治7年 1874年 六甲越住吉道の改修完了、駕籠の交通が可能に
明治11年 1878年 有馬郡になる。湯山屯所廃止、三田屯所の直轄に
明治12年 1879年 温泉浴場を洋館に改築、湯女を廃止
明治16年 1883年 温泉神社現在地に遷宮、清涼院後が小学校に
明治17年 1884年 炭酸温浴場を設置
明治20年 1887年 町村制施行  湯山町になる
明治22年 1889年 温泉浴場を宮殿造り平屋建てに改築
明治24年 1891年 木橋を廃棄し、鉄橋の(太古橋)となる
明治25年 1892年 湯山町を有馬町に改称する
明治29年 1896年 阪鶴鉄道有馬口駅(現生瀬駅)ができる
明治31年 1898年 (六甲山鳴動)地震33回   湯の温度上昇
明治32年 1899年 サイダー製造の有馬鉱泉合資会社を設立
明治33年 1900年 太古橋付近に高等温泉設置(現在の阪急バス駅辺)
明治36年 1903年 有馬自動車㈱設立  アメリカ ノックス式バスで営業1年
明治38年 1905年 三津繁松(炭酸せんべい)をつくる。  電話架設す
大正 大正3年 1914年 有馬鉄道㈱開通。  ラジュウム温泉開業(インド風洋館)
大正15年 1926年 高等温泉廃止
昭和 昭和3年 1928年 太古橋、永久橋間暗渠工事。  神鉄開業
昭和17年 1942年 有明泉1号、96.8度の温泉湧く
昭和18年 1943年 省線有馬線廃線。  町立温泉研究所設立
昭和22年 1947年 神戸市と合併し有馬町となる
昭和23年 1948年 有馬温泉観光協会設立。  天神宮で94.7度温泉湧く
昭和25年 1950年 (有馬大茶会はじまる)
昭和26年 1951年 御所泉源から86.5度の温泉湧く
昭和29年 1953年 極楽泉源84度、有明2号各温泉湧く
昭和30年 1954年 うわなり泉源86.6度の温泉湧く
昭和31年 1955年 表六甲有料道路開通、六甲・摩耶が国立公園に
昭和36年 1961年 温泉会館落成。   芦有道路開通
昭和40年 1965年 旅館案内所できる
昭和42年 1967年 六甲トンネル開通
昭和45年 1970年 六甲有馬ロープウェイ開通。  有馬、万博景気に沸く
昭和48年 1973年 定山渓温泉と姉妹提携
昭和57年 1982年 ゆけむり広場、豊公像、歓迎門、時計塔できる
昭和61年 1986年 沙羅の花と一弦琴の鑑賞会はじめる
昭和63年 1988年 北神急行開通
平成 平成4年 1992年 湯けむり坂 完成
平成5年 1993年 4月~9月 神戸アーバンリゾートフェア93開催

イメージ

元祖炭酸煎餅の由来

有馬温泉駅から有馬の坂道を歩いて15分、湯本坂を上りつめた所に炭酸泉が湧き出る炭酸泉公園があります。
そのすぐ傍に神戸御影に昭和初期に建てられた純和風の民家移築しました。
この建物は昭和初期に建築された純日本風和建築の建物です。
平成二十三年秋より解体工事をして、平成二十四年四月施行致しました。

これは旧長田邸の一部、大広間の部分ですが茶会用の水屋も併設してありますので茶室としても使用できます。

イメージ

長田家は創業130年の商社

長田家は創業130年の商社で、1879年(明治一一年)神戸市兵庫で創業され竹材製品を製造、その竹製品をアメリカ、ヨーロッパに輸出され現在も長田通商㈱として神戸の貿易商社として130年に確固たる地位を築いておられます。
創業当時、日本の竹製品は【魔法の素材】と言われプラスチックのなかった時代に軽くて丈夫な特性を生かし釣竿やじゅうたんの芯材など様々な製品に使用されました。エジソンが日本の竹でフィラメントを作り白熱電球を発明したのは一八七九年の事です。当時【NAGATA Bomboo】という名で知られ竹製品の輸出では世界一を誇っていました。
それから130年の永きに渡って取扱品が多岐に渡り、現在六代目の社長の下世界各国との取引に活躍されております。

そんな長田家の居宅の一部をお譲り頂きました。
有馬温泉も昔から竹細工の伝統をもっております。当地有馬温泉との不思議な縁(えにし)があったからではないかと思っております。
この建物を当社の命綱 炭酸泉と共に末永く守っていきますのでよろしくお願いいたします。

イメージ

天皇が滞在された土地に。

有馬町字杉ケ谷というこの土地は有馬温泉には
大切な、大切にしなければならない土地なのです。
舒明3年(631年) 第34代 舒明天皇 
大化3年(647年) 第36代 孝徳天皇
が有馬に行幸された際、行宮を建てられ滞在された土地なのです。
近くに金泉・銀泉が湧く泉源があったことがこの土地を選ばれた理由かと推測されます。

イメージ

三ツ森 炭酸泉店は六甲連山に囲まれ、豊かな六甲の自然が四季を通じて味わえるまさしく有馬温泉のプレミアム、癒しスポットだと思います。

イメージ

ここに何を創るか思案していた時、10数年前から有馬の町並み保存の運動を指導して頂いている
建築家の森崎 輝行さんから御影の建物の保存の話を伺いすぐにお訪ねしました。
一目であの土地にはこれだと思い、譲って頂くようお願いしました。土地の広さの関係で広間の部分を頂き移築しました。

そして、その建物に併設して当店の柱である炭酸泉を使った炭酸煎餅を焼くお店を作りました。
移築した建物の前庭をテラスにして季節の和菓子とお茶を楽しんで頂くカフェも作りました。
将来はこのテラスを舞台にミニコンサートなどのイベントも企画したいと考えています。
有馬温泉にお越しの折にはぜひお立ち寄り下さい。お客様のお越しをお待ちしております。

平成24年5月 吉日